2人のB
今年も残すところ3か月弱となり、今年はコロナ禍で音楽会も1~2回ほどしか足を運んでいないが現役学生の公開レッスン講座に行き大変有意義を過ごした。ところで・・・クラシックの音楽では「ドイツ3大B」といえば「バッハ」「ベートーヴェン」「ブラームス」である。その中でバッハとベートーヴェンの後期の作品を扱ったレッスンであった。バッハ後期の舞曲からなる作品では曇りもないような仕上がりの演奏に感じたが一貫して重要なことは「拍感のとり方」であった。わたしはバロック舞踊に接し独特のステップ、拍感を身体に刻みつけようと勉強していた時期もあったが演奏に生かすことは別だった。なぜなら、踊りは音楽ありきだったから・・。音楽に合わせて踊るのでイメージしやすくなっても直接演奏に結びつかなかった気がする。指導する上では説明しやすいが指導と演奏もまた少々異なる。それらが今回の講座でモヤがかっていたものが晴れたように感じた。とても良い演奏だったので指導される内容も高度になるのは当然のことで実り多いものとなった。
ベートーヴェンも後期の作品を扱っており身体の技術だけでない音楽の技術という点で「なるほど」と思うこともあった。後期のソナタ作品はロマン派の時代にかぶっておりピアノも現代ピアノとほぼ近い状態まで開発されていたので、作りや響きもボリュームがある。ソナタ形式という形式が明確にされている中にどのような思いが隠されているのか?レトリックな要素はメンデルスゾーンによって「世紀の大発見」をされるまでお蔵入りだった。故に激しく上下する音符の羅列の連なりから何を感じ、また、どのような表現がふさわしいといえるのか・・?こうなるともうもはや哲学的にならざるを得ないもの。ただ強弱をつけてみたところで説得力のある演奏につながらないし薄っぺらく心に響くことのない演奏になってしまうだろう。大作曲家の作品に接するときは、真摯な心持ちがまず必須であることを改めて再確認できた。
あるレッスン生が小指の打鍵についてアドヴァイスされていた。私もレッスンの時よく口にすることがある。弱い指ほど重要な役割を果たさなければならないことが多い。逆に強い親指は音量を控えなければならないことが多いのである。フレーズや和声の作りを見れば頭で理解することは容易である。しかし鍵盤の打鍵に対し物理的に変化をさせるには運動神経を使って身体や指先をコントロールすることが必要だ。反復練習を正しくして習得していくことが「ピアノのおけいこ」の常だとすると、レッスン時にアドヴァイスを受け一瞬部分的に出来てもクセは、きちんと修正しない限り改善は難しいのものだな、ということも改めて認識させられた。
いくつになっても再認識させられたり新しいことを吸収できる喜びの機会を持つことができて幸せだ、と、独りホクホク顔で感想ブログを書いていた。